W杯旅行記:バルト三国の歴史から

shuuppa2006-08-10

以前、僕はバルト三国と聞くと

どこの国かわからないし、どこに

あるのかも全然わかっていなかった。


高校の時に、世界史がすきだったので

バルト三国について習ったことを少しおぼえているが

ソ連の一部ってことくらいしか印象がない。



今回の旅行をしておもったのが、

実際に旅行をして、その街を歩き、

そこの食べ物をたべたり、人々の生活をみることで

少しでも興味がわくと、

物事の吸収力がまったくちがうなーって

おもった。


世界史で”バルト三国とは”って学校で習っても

歴史や、政治的背景などの事実は頭にはいるけど

まったくイメージがわかない。


そういった意味でも、ある程度

自分の中でイメージを持つってことができた

今回の旅行は本当に満足かな。


さて

バルト三国とは、バルト海沿岸の

エストニアラトビアリトアニアの3つの国のこと。


もともとソビエト連邦に併合されていたが、

1991年8月20日に3国とも独立を果たす。


それが、ソ連崩壊へ大きな影響を与えたみたい。


もうちょっと歴史をひもといてみると、

ロシア革命後、三国とも独立をしたが、第二次世界大戦中に

ソビエト連邦に併合されたそうです。

つまりロシアの影響もすっごくうけている国々です。


僕が、こちら欧州にきてから旅行をして

すっごく思うのは、ドイツ・ロシアの力が

どんだけでかかったかってこと。


たとえば、

エストニアは、

バイキングに侵略をうけ、

ロシア人に侵略をうけ、

ドイツ騎士団にも侵略をうけ、

デンマークからも侵略をうけ、

スウェーデンからも侵略うけ、

そして、ロシア帝国にも侵略をけて、

やーーと独立をはたしているみたいです。



歴史についての詳細は世界史などのサイトにまかせますが、

ドイツやロシアの政治、建築、商業などが

バルト三国の町並みに大きく反映されています。


街をあるいていても、ドイツ・ロシアと同じ

建築デザインをよく目にします。


たとえば、リトアニアの首都ビィニウスなどは

中世ドイツの影響がおおきくのこっています。

特に街並などがすっごくドイツっぽい。


それはハンザ同盟時代の街並がよく残されているから。

ユネスコ世界遺産にも登録)


それにくらべ、

ラトビアの首都;リーガ、

エストニアの首都;タリン

はロシア建築の影響が数多くのこっている印象をうけました。


こういった歴史の面影が

まだなお残っていて市民の生活の中で

なおいき続けているのでしょう。

どっかの国がケンカ(戦争,政治、経済)をしかけ、
自国が求める”利益”をえようとする。
攻撃をうけた国は必死で防衛し、勝つために命を削る。


基本的な国際政治の”利害関係”は

いまも同じなのでしょう。


そういった意味からしても

EUという大きな枠組みを人が考えて

実行し、さまざまのヨーロッパの国々と協議をし

実際に開始するまでもっていき、いまでは

世界にも大きな影響を及ぼしていることをみると、

すごい変化ですよね。


さらにユーロという通貨まで生み出しています。


ただ、ヨーロッパのEU圏内での

仲良しこよしって感じではなく、いつも

国どおしの利害関係を軸に

討論(ケンカ)があるとおもういますが。