辺境近況:海のむこうの政権崩壊

チュニジアにおいて、反政府抗議行動が拡大とのこと。

1月12日から以下の施策を実施していたが、

大統領や政府ではてにおえなくなったらしい。。。

・雇用の早期創出政策
・首都圏を対象にした外出禁止令
・同大統領が現在の任期をもって退任
・主要食料品などの価格引き下げ
言論の自由拡大


そして、14日には

内閣総辞職と総選挙の6か月以内の前倒しを表明」を表明したが

国民は納得せず、ベン・アリ大統領の即時退陣を要求。


最終的には、ベン・アリ大統領はサウジアラビア


一時的に逃亡。そのため、首相がて政権を担当となった。


政権崩壊という言葉をきいてなんとなく思いだすのは

社会主義国であったソ連であったり、

ソビエト関連の国々があったころを思い出します。

(かすかに映像をみていた記憶がある感じですが。。)



日本では

国に不満をもって政権崩壊ようなパワーを

感じることがない



なぜか。



それは政治の問題が深刻に自分の生活を危機的状況に

追い込むと感じていなから。



政治にあきあきしても、自分達の生活は

なんとかなっていくし、仕事にも特に影響はない。



日本では食糧の供給も安定的だし、インフラもそれなりのものが既に整っている。

となると、不満はあるが、生活そのものの危機感はない。



不満と危機感では、行動力が異なる。

不満は口だけでおわるかもしれないが、危機感は行動しなければ

どうにもならない状況だから。



という意味では、日本にはまだ危機感が全くないのかもしれない。



政治的な問題も、国際環境におけるビジネスも、

そして軍事的な問題も、自分も含めて危機感がなぜか薄くなりがち。


それはなぜなのでしょうか?



新聞の書き方、ニュースの報道の仕方の影響がかなり大きいかも

しれません。



というのも、海外の大学、大学院にいっていておもったのは、

日本の新聞と米国及び欧州の報道の温度差。

海外だと、”ずばっ”と真実を追求している感じの

内容が多いが、日本は核心をつく情報が薄くなにかと”余計”な情報が多い。



それはもう、どうにもならないのかもしれません。

というのも何年も前からいろいろな方々が指摘をしてもなおってないから。



だとすると、自分たちだけでどういうことが可能なのか?!


ネットという手段が世の中のインフラとなった今、

自分達で情報を送受信可能であるからこそ、マスコミュニケーション

手段・ツールは自分達が既にもっていることになる。



となると、個人としてやるべきことは

目標・課題設定、自己管理、知識や能力が

これまで以上に重要になり、世界における競争も加速度をましていく。



やっぱ自分でなんとかやってかないと

何もかわらないんだろうなとしみじみ思う今日この頃。