フィンランドMBA:自分が書いた文章に見えない瞬間


フィンランドMBAを取得する際に

奨学金にかなりお世話になった。


たまたま、奨学金に応募したときにかいた小論文のペーパーが

部屋の片付けをしているときにでてきて、久しぶりに読んでみた。


その瞬間にもっていた目標と、現状のポジションを

比較してみておもったのは、うーんまだまだ道のりは

遠いなーってこと。興味があったことにひかれて

かなり寄り道をしているようです(笑)


まあ、僕の人生は道草ばっかなんですよね。


この時自分が奨学金に応募するためにかいた小論文は、

・大学院にいったら何を勉強したいのか。

・そしてその勉強を今後どうやって世の中に活用しているくか


などについて記載してあった。

というか”かいてあった”という感覚です。


当時もっているビジョンと現在もっているビジョンは

多少違うなりにも、基本はあまり代わってない。


けど、ずいぶん高い目標設定だなーってあらためて感心。(自分のですが)


こうやって、自分が過去に真剣にかいた文章を

みていると本当に同じ人物がかいているのかと不思議におもってしまう。


これは、幼稚園、小学校、中学校、高校、大学のころに

自分で書いた文章をある程度の年月がたってから改めて読んでみた感覚に

凄く共通している部分があると思う。


つまり、自分が書いた文章に見えない部分が

ひそかに潜んでいる感じなんですね。


”本当に俺はこんなことおもってかいていたのか?”

”よくこんな知識・考え方をもっているな”

など。


この感覚は何なんでしょうね?


ある意味、文章をかいているときは

幽体離脱しているのかも(笑)だから自分の文章に

みえないのかもしれないですね。

とおもった今日この頃。